あれから3年、俺は成長したのだろうか?その答えを求めにやって来た。

20歳の時に挑戦したシンガポールリーグ

自身は、プロ契約ではなかったもの、初めてサッカー中心の生活を送った。

 

9時から練習だから、7時にアラームをかけ、リンゴを一個かじってプロテインを飲んで、1時間前には、必ずスタジアムに足を運んだ。

練習後に、洋さんと荻君にみっちり鍛えてもらいプロとしてサッカーをするという事を、常々意識させてもらい毎日が最高に充実していた。

 

しかし、1年を通して公式戦には1試合も出れず、トレーニングマッチにも数分程度の出場に留まった。





 

それから2年が経ち、東南アジアでサッカー選手になる事を模索した。

 

タイへ渡航すると10チーム程のチームのテストを2ヶ月かけて受けまくった。

 

2週間ほどで、テストに合格し、GKコーチ兼任で欲しい!と言ってもらい個人的には、条件も良く

 

「やっと夢が叶うんだ」

 

そう思った矢先のクリスマスイブに代理人から連絡が入り、チームが来シーズンを戦うライセンスを取得出来ずに、解散する事となり僕はチームを一から探すことになった。

 

それから1ヵ月が経ち、深南部のパッタニーFCと人生初のプロ契約を交わした。

しかしプロといっても生きていけるギリギリ、むしろマイナスに近い待遇で、チームメートだったウォンさんに毎日のように面倒を見て頂き、ウォンさんとの出会いがなければ今の自分はないと思っている。

 

シンガポール1部でのキャリアがあった僕は、外国人助っ人として期待されたが、結局半年間ベンチを温める事になった。

また、ITCが届かず、ベンチ外で試合を見る時も多くありました。

 

(斜め上のサポーターと同じ席で試合を観戦する俺)

 

そして、前期のリーグ最終戦でパッタニーFCから

「sorry.Yuki….」

僕は、クビを告げられました。

初めてのプロリーグ、初めてのクビで、言葉が出ず、悔しくて、悔しくて1人家に帰って泣きました。

だけど、試合に出るまで、諦めないと誓いFacebookのメッセンジャーで90チームに連絡を入れた。

そうすると1チームだけ返信をくれた。

ガビンユナイテッドというカンボジア付近にある昨年Division2で中位のチームだった。

練習1日目に合格!すぐにサインをしよう。

そう伝えられたもの

「Your Second」

お前は、セカンドキーパーとして使うと監督に言われた。

 

だから最初のトレーニングマッチはサブ組でのスタートだった。





何が何でも無失点に抑えなければ!!と強い気持ちでゴールを守った。格上のチームとの対戦だったがテストマッチで45分3本を、135分僕は、無失点で抑えた。

「Your good goal keeper!」

待遇も4倍近くになり、僕は開幕戦のピッチに立った。

タイの国家を聞き、子供と手を繋いで入場すると胸が高まり感極まった。

下手なプレーを見せれば、ゴール裏から容赦ないブーイング。「AV!アジノモト!ソラアオイ!」ゴール裏から罵られることもあった。

 

8試合出場8失点

 

シーズンが終わると、オーナーに呼ばれ、来シーズンも契約して欲しいと伝えられた。

 

だけどもう1度国の1部リーグで挑戦したいとオーナーに告げて、僕はモンゴルの地へとやって来た。

 

何も出来なかった20歳の時から3年

 

俺は成長出来たのか??

 

 

その答えを求めに、僕はこの国にやって来た。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

タイの田舎でプロサッカー選手のキャリアをスタートさせた。 ポジションはGK 選手活動を続ける中でライターとしても活動中